綴るだけ

四半世紀の怠惰

当事者

 世界でなにが起きようと、私はなにも変わらない。

 どれだけ近寄ろうとしても結局は蚊帳の中に入れるわけではないので、とりあえず日常を続ける。本当はもっと心を痛めたり喪に服したり感情を表現する術はたくさんあると思うけど、それができない。普通に、今日はごはんが美味しくて、ちょっと遊んで、いつも通りぼーっとして、時間を浪費して、薬に生かされて、気持ちは沈まず、心は塞がりきらず、こうやってのほほんと精神の狂いを綴っている。

 とても、考えて考えて良かった悪かった大事だ大切だ慎重に慎重にと考え事をしていたはずなのに現実(本質)をコンマ一秒も見ていない。目を背けているわけではないし、むしろ直視しようとしているつもりなのに、ベール?離人感?そんなわけはない、今は健康だ。結局、ふつうに他人事としか捉えられていないのだ。残念なことに。自分に嘘を吐く自分に失望する。

 この微妙な愚かさはかえって正しいのかもしれない。たとえ私がいくら弔おうとも、近くにい(て、不思議な体験をす)るのは私ではないのだから。それが正しくて、良いことなのだから。

 しかし、すべてがきれいに収まった気がして、「良かった」「ありがとう」しか言葉が出てこなかった自分が愚かしい。ありがとうと言ってもいいのは当事者たちだけのはずである。