綴るだけ

四半世紀の怠惰

ふた

昨日、たぶんすごい体験をした。

その職に就いている人なら驚くことさえしないだろう、むしろ感動することが幼稚に見えるだろうこと。それを観て、触れて、感じた。

あとから「今日がターニングポイントになってもおかしくなかったかも」と思い始めたけれど、夢中になっているあいだに感じたのは、すごいと思っていた人は実はそんなに神様じゃなかったということ

 

昨日を起点にする人生が送れたら、あの体験が、あの物体が、もっと身近に、日常になるのに。だから今日から努力しよう、なんてできないと、自分のことを諦めているのは冷静な判断なのか単なる言い訳なのか。…たぶんこれは「やってみないとわからない」ことなのだろう、と書いていて感じてしまった。

 

最近、自己愛が強すぎると感じている。反面、これだけのセルフ・ネグレクトは自傷の域に入りつつあるのではないかとも思い始めている。趣味のためにすべてを遣い果たしている人は今や少なくない。やりたいことをできないと判断し、購買と獲得だけで束の間の充足感を得て、残りの時間をどうやり過ごすかで、寝て、ぼんやりして、視力を低下させ、だけで大事な大事な若さを逃していっているのはどうなのだ。

息苦しさがだいぶ戻ってきてしまった

嫌な季節、耳を塞いでじっとしていたいけれど、そこを正しく覆うすべはない。