綴るだけ

四半世紀の怠惰

私は魔女になりたい

私は魔女になりたかった。


 魔女。一番はやっぱり「魔女の宅急便」だろう。キキが街を飛び回るのより、その街を救うのより、実家の魔女(お母さん)が手を揺らして薬を作るところが好きだ。もっと好きなのはウルスラだけど。
初めて魔女という言葉を憧れとして認識したのは、「あなたはトイレに行かないね。魔女みたい」と言われたとき。小学校1年だったと思う。その言葉は何度も思い出すし、今でもお化粧室に立つ回数は少ないままだ。私は魔女だから。……と思っては微笑んでしまう。

 魔女の宅急便はビデオで観ていた世代だが、リアルタイムでも魔女を経験している。「おジャ魔女どれみ」だ。明日公開の旬な作品。「どれみと魔女をやめた魔女」をリアルタイムで視聴して「今回は様子がおかしい、インパクトが強すぎる」と感じた幼女の一人だった。大人になってから「そういえば」と検索をかけて、当時最愛の作品だった「時をかける少女」と同じ人間が、同じ描写をモチーフにしている作品だったことを知り、運命だと思った。東京国際映画祭で上映されたときには必死にチケットを取った。六本木の大画面で観たことが自分の転機になるかと思った日もあった(ならなかった)(なるかもしれない)。

 人間を見て「魔法使いみたい」と思ったのは絵画教室の先生に絵を修正してもらったときだった。ほんの端っこに筆を当てただけで絵のランクがあまりにも上がったので「魔法使いみたい」と言いそうになった。コミュ障ゆえ言えなかった。私にとっての具体的な「魔法」は絵、それから「やめた魔女」由来のガラス工芸。

 魔女になりたいなあ、と思いながら本屋に行ったことがある。そうしたら魔女になるための本を見つけた。小さくもないが駅ビルのワンフロアでしかないそこに、そんな本が?と思い運命を感じつつ買った。読んだ。自分好みの本だった。でも私は魔女にはなれなかった。第一に私は自然のままの自然が好きではない。加工された自然は好きだけれど。

 自然で思い出したけれど、そういえば『西の魔女が死んだ』の話も避けては通れない魔女の物語か。この本に出てくるような魔女が、魔女なのだろう。人を愛し自然を愛し、慎ましく生きる。それがきっと魔女のあるべき姿なのだ。

 私は魔女になりたい。だけどなれない。だからせめて、魔女の気高さだけは忘れずに、
 自分が魔女(魔法使い)になる日が来ることを願いながら、今日もなにもせずに生きている。